今週のムゲンオンカイ

〜 いつかお前を〆切ってみせる 〜

第8回 <〆切り>

新たな新連載も始まるとのことで、久々のリニューアルとなるサウステンジンゴーレム。
事務所の引っ越し以来、働き者の某K君以外は、定期的に事務所に姿を見せるメンバーが非常に少ないという噂のキャラメルポット。

もはや完全フレックス状態(というか野放し?)で、きまじめな人間だけが律義にやってくるという状態は、いかがなものかと思いますが、まぁ、こんな会社があってもいいでしょう。ミレニアムだしね。
以前の事務所時代は、会社にまめに顔を出す人が多かったが、遊んでいる人も多かったので、こなしている仕事の量は案外変わらないのかもしれない。

さて、久々のムゲンオンカイ。代表石川から直々に「原稿書けぇ〜!」との指令が出て、〆切から2日遅れで原稿を書き上げた。

2日遅れで原稿が出せるというのは、私にしてみればなかなか優秀な成績である。なにせ小学生の頃、夏休みの宿題は、夏休みが終わってから始めるのが、常識であった。
私の友人には、「夏休みが始まる前に終わらせるのが常識よぉ〜」という秀才さんから、「そんなもん出したことがねぇ!」という気持ちの良い男までさまざまであった。みなさんは、どうでした?

さて、ここまでは前フリなのだが、今回のテーマは「〆切」。

みなさんは、「〆切り」といえば、何を思い浮かべるだろうか?
漫画家、こわい、プレゼントの応募、etc..たくさんあるだろう。
社会人の方などには、おなじような意味をもつ言葉でも、「納期」という言葉のほうが断然「恐い」かもしれない。キャラメルポット的にも、「倒産」「未払い」等に次いで、恐いものランキングの上位であろう。

 漫画家が使ういわゆる「楽屋オチ」のネタにも、〆切りネタは多い。
「担当殺すに刃物はいらぬ、原稿落として知らん顔」とは、ある漫画家が使っていたネタだが、なかなか含蓄のあるステキな言葉である。

 さて、私にとっての「〆切り」とは、何かを生み出すための最も大きな原動力である。
こう書くとなんだかカッコよさそうだが、実際は、単に「〆切りがないと何もしない」だけである。
この傾向は、歳を重ねるごとに強くなってきて、さらに、〆切り直前まで本気になれない、「ケツに火がつくまで何もしない」というのが普通になりつつある。
しかし一番の問題は、「それでもなんとかなってきた、、ハズ」と考えている私自身の考え方であろう。
あるいは、そう考えるようにさせた社会がわるいんだぁ!などという責任転嫁もお手のものである。

また、幼い頃に、「〆切り」と呼ばれるものに、「本当の〆切」と「建前としての〆切」(いわゆる「〆切り」)の2つの「〆切り」が存在するということに気付いてしまったのも良くない。

前述の夏休みの宿題の例でいえば、「夏休みの宿題は、始業式の日にちゃんともってきてくださ〜い」といわれたものだが、ここでは、始業式当日=「建て前としての〆切り」である。
この場合の「本当の〆切り」は実はかなり曖昧で、「せんせー。忘れました。」の一言で数日間は確実に延びる。
さすがに、私くらいの常習犯になると、「あら、ムラキタ君またですか?ホントは、まだやってないんでしょ?」などと、妙なかんの良さを見せる教師もいたが、まぁ、なんとかごまかせる。で、その日に一気に終わらせる、というのが、王道パターンであった。

 このようなパターンを発展させると、様々なピンチを切り抜けられるものだが、

1. 事前におくれそうなをニュアンスを漂わす
2. 自分のキャラのイメージを定着させる
3. メシをおごる、肩をもむ、などの日頃の行いである程度フォローする

等を怠ってはならない。また、これ以上遅れると取りかえしがつかないという「本当の〆切り」の情報を、いち早くキャッチしておく事も非常に重要である。
この「本当の〆切り」におくれると、命取りの場合もある。


しかし、私も、そろそろ2?歳という、「いい年」になってきて、人生の〆切りまでには、何かを仕上げたいものだと思うが、「きっとこのままなんだろうな〜、でも、いいかも(はぁと)。」とも思う今日この頃である。


PS 反応が薄いので、連載小説は、打ち切りました。


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