今週のTシャツ...................................................................................no.0003
no.0003--->胸キュン!
胸キュン!の感覚ほど、自分がその人にむかって恋に落ちていると感じさせる感覚はあるだろうか? 今週はその事について詳しく考察したい。 |
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どうしようもないくらい好きな子がふいに手を握ってくれた時。胸がきゅうっと締め付けられるような感覚におそわれはしないだろうか?それを僕は”胸キュン!”と呼ぶ。それは恋に落ちている証拠であり、相手の存在を確認して自分自身が感動している心の音である。
少しまえ何年かぶりに、胸キュン!が復活した。僕はかなり歓喜した。高校生の最初のほうに消えてしまったと思っていたあの懐かしい感覚に再びおそわれ、自分の中に純粋さが戻ったのかとさえ思った。これはすごいことだった。あんなに苦しいのにとんでもなく心地がいい。これは僕がすごく感動しているということだ。すごく感動しているということはとてもすばらしいことなのだ。
別に、胸キュン!は恋に限ったことではない。胸キュン!するということはものすごくかのどうしているということであり、それだけ深くものを感じ取れるようになっている証拠なのだ。自分におきていることに感動して、その状態をあまりにも感じるから心が声を上げているのだ。それは、身体的感覚となって僕らの体に響くのだからすばらしいではないか?まさに胸キュン!は心のセンシティブさのバロメーターであるのだ。センシティブであることは多くの人にとってはとても重要なことのはず。まあ、でもたいていの場合、胸キュン!は恋の印だ。
ところが僕はつい最近は胸キュン!の回数が減っているのに気づいた。これはいけない。とってもいけないことなのだ。今の自分の生活が漫然としてきている証拠である。何もかもが当たり前だと思い出したからこんなに大切な感覚が消え失せようとしているのではないか?僕が大切にしたかったものはどこへいってしまおうとしているのだろうか?このままではいけない。何も当たり前のものなどないのだ。僕はその事をちゃんと考えてこれから日々で出会うものに接していかなくちゃ。と思ったのである。
これからもずっと恋に落ちていきたいものである。
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